来た球は打つ
わたし、iPodには「運命は、努力した人に偶然という橋を架ける」というのを刻印しているんですが、ちょっと長すぎ。
短い版としては、「人生成り行き」というのを使っていました。使う側としては、「来た球は打つ」に大変近いニュアンスのつもりなのですが、普通はあまり良い意味に取ってもらえないので、今年からはこれに変更しようかなと思っています。
おまけ
映画「猟奇的な彼女」では、主人公が彼女との再会を運命づけるため、タイムマシンまで発明してしまうほどの努力をしたというのが私の解釈(工学部というのが伏線)ですが、いわゆる「ドラえもん最終回」も似た展開になっています。
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